鎌ヶ谷大仏
大慶園はほんとに大きいし謎展示物もあるけど大仏はほんとに小さいし大仏感ない。
大仏は巨大なもの-と思っている人は、修学旅行で見た奈良や鎌倉の大仏が目に焼き付いているに違いない。
だが圧倒される姿だけを大仏と考える人は、鎌ケ谷市にはいない。駅前の一角に鎮座する釈迦如来座像「鎌ケ谷大仏(かまがやだいぶつ)」は、高さ1・8メートル。ここでは、この小ぶりな大仏様が、暮らしに密着している。「鎌ケ谷大仏駅」から電車に乗り、「大仏商店会」で買い物をするのが、市民の日常なのだ。

大仏の定義は難しい。一般的に仏身が1丈6尺(約4・8メートル)で、立像(りゅうぞう)はその大きさ、座像ならその半分以上を大仏とする説。だが、それより小さいものは大仏と呼ばないのかといえばそうではない。特に江戸時代はおおらかで、「それくらいの大きさで立派な仏様」なら、それは大仏。江戸中期建立の鎌ケ谷大仏は座像の基準サイズには少し足らなくても、威厳あるお姿で堂々の大仏様なのだ。

「大仏とされる仏像で、石像以外では日本で一番小さい」と、鎌ケ谷市郷土資料館館長の立野晃さん(59)が教えてくれた。この「日本一」が、鎌ケ谷大仏の自慢のひとつだ。大仏は安永5(1776)年、利根川の河岸と江戸川の河岸をつなぐ、木下(きおろし)街道の中間地点として栄えた鎌ケ谷宿の有力者、大国屋文右衛門が、祖先供養に江戸・神田の鋳物師に作らせた。青銅製で開眼供養には僧侶50人あまりが招かれ、人気料理店、八百膳(やおぜん)が300人前の料理を用意したという。個人建立大仏だが、地域の人たちが守ってきたのが最大の自慢。
「戦時中の金属供出を『大切な仏様』と断ったとされています」と立野さん。多くの仏像が失われた明治初期の廃仏毀釈を乗り越えたのも地域の人たちの大仏への思いがあったからに違いない。

県道59号(木下街道)の両側には「大仏」の名を冠したそば店や韓国家庭料理店が点在する。県道57号交差点近くの清田精肉店では清田博司さん(62)考案の大仏シルエット型「大仏コロッケ」(1個80円)から「大仏愛」を感じ取ることができる。「鎌ケ谷大仏バス停」で、大仏に見守られながらバスを待っていた佐藤伸子さん(48)は「幼稚園のころは大きく見えた。大人になって小さな大仏と気づいたが、大切な存在なのはずっと変わらない」と、話してくれた。大仏の表面には金が張られている。現在もごく薄く残り、日に照らされて輝く瞬間があるという。
http://www.sankei.com/region/news/180503/rgn1805030032-n1.html
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